見ていないようで見ている
人間の目というのは不思議なもので、
しっかりと自分の目のレンズでとらえているものでも
見えていないことがあります。
その一方で「どこに目があるの?」と思うほど
背中で見ているような状態でも見えていることがあります。
「そういえばベンチの並びってこれで合っていた?」
と突然聞かれたわけなのですが、
毎日目にしているはずのベンチなのですが、
ベンチの並びが全くもってわからないのです。
「4-2でしょ?」「3-3じゃない?」
「ベンチを動かしたなら地面に跡が残るでしょ?」
改めて様々な意見が飛び交うわけです。
その次の日に「ベンチ!」と思ってベンチを見に行くと、
いつものベンチがよく見えるわけです。
手前に4個、奥に2個並んでいる様子がはっきりと!!
人工芝に携わる人間は、人工芝についてはよく見ています。
じっくり観察しているわけではないものの
「観察する」レベルにまで見ていることが多いです。
それこそどこに目がついているの?と思うほどです。
それこそ「見ていないようで見ている」のです。
この言葉は本当に繊細で奥行きがあります。
やさしさや気配りがあるからこそ、
背中から見ているような状態になっているわけです。
あの家は継ぎ目がよく見える、
若干浮いている、釘が見えている、色褪せしている・・・
だからこそ「こうしたらいいのに!!」と、もどかしく思うことがあります。
当の本人はというと、継ぎ目が見えていないことがありますし、
浮いていることさえ気付かないですし、
釘の存在を忘れてしまっています。
毎日見ていると特に気づきにくいのですが、色褪せです。
本当に少しずつ色が変わっていっているのです。
だからこそ、こんなに色が抜けていたということがわからないのです。
本人の意識であり気配りが伴っていて初めて「見える」のです。
人工芝に対して意識を向けていたり気配りできていたりすれば、
継ぎ目に釘は見えてしまうわけです。
それこそ浮いていることさえわかります。
その意識や気配りがあればそれこそ「背中からでも見える」のです。
人工芝に携わる人間ではなくても、
意識を向けてしまえば見えてしまうので「あの家どうなっているんだろう?」と
いうことが気になってしまえば見てしまうわけです。
ゴミがある!人工芝がはげている!そういったことが見えてしまいます。
だからこそ、手間をかけずに美しい景観を維持することが大切なのです。
高品質の人工芝を敷き、定期的にゴミを拾うだけで
美しい景観を保つことができるのです。
芝人の人工芝は高品質で適正価格です。
芝人は人工芝の販売から施工まで一貫して対応が可能です。
高品質で美しい人工芝を継ぎ目や釘が見えないように敷くことができます。
もちろんしっかりと整地をするので人工芝が浮くということはありません。
みなさんがすることはゴミや落ち葉を取り除くことがメインとなります。
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